「燃えろ!」「……燃えろっ!!」「…………燃~え~ろ~!!!」
物騒な言葉を繰り返しながらトレサはじたばたと転げていた。あまりの異様さと旅の疲れから放置していた仲間たちだが、興味をおぼえたサイラスはトレサに奇行の訳を問うてみることにした。
「何を燃やそうというんだい?」
「先生」
トレサは堅く握り込んでいた両の手をひらく。どれだけ力を込めていたのやら、それこそ燃えそうに真っ赤に色づいている。そしてトレサには負けないと叫ぶような赤いリンゴがつやめいていた。
「……私、せっかく学者のジョブの証を身に着けたのに、ちっとも魔法が使えないんです」
差し出されたリンゴにサイラスが触れると、ひやりと瑞々しさをたたえた温度がある。
「燃やすどころか、熱くもならなくて……」
ふむ、とサイラスは考えこむ。しばしの沈黙ののちに語り出す。
「以前、私たちの旅の始めだ。ふたりで市場に葡萄を買い込みに行ったのを覚えているかな?」
唐突な思い出話にトレサはきょとんとしたが、すぐにサイラスに答える。
「覚えています。私たち、深い怪我を治療することは出来ないから、葡萄がたくさん必要だって市場に」
「そう。特にあの日は……事情は知らないが、たいへんに混み合っていたね」
「はい。あの時は町のちょっとした記念日で市場が何かとサービスをしてくれて、それを目当てに人出がたくさん……」
ふむふむ、とサイラスは頷くと、また違う方向に会話のボールを投げた。
「では、君は物の燃える……より正確に言えば温度の上がる仕組みを知っているかな?」
一瞬何事かと思ったが、トレサは基本的に年上を敬うし、素直だ。
「……知りません」
少し考えてから出されたその答えに、サイラスはに満足げに頷いた。
「ありとあらゆる物は、より小さな物がたくさん集まって、その小さな物もさらに小さな物がたくさん集まって構成されている。大きな市場が、たくさんの人々で出来ているように」
今度はトレサがふむふむ、と話に聴き入る。どうやらこの先生は授業をしてくれるつもりらしい。
「あの市場はすごい熱気だったね、それはどうしてかな?」
「……市場に集まった人たちが…走ったり、押し合ったり、商品を運んだり、声を張り上げたり、とにかく動き回っていて……」
「ではこのリンゴを市場と見立ててみよう、中は人々でいっぱいだ、熱くするには?」
サイラスは話の間中転がしていたリンゴをトレサの手の内に返した。受け取ったそれをトレサはしばし見つめてからぽつりつぶやく。
「…動け…」
赤い果皮をみつめて、活気と熱気に満ちた市場を思い浮かべる。自然と言葉が継いで出る。
「…走れ……叫べ…」
リンゴを構成する小さなものどもはトレサの言葉に従順に応え始める。
「…………騒げ!」
次の瞬間、トレサはリンゴを投げ出した。
「あ、あっつーい!!!」
リンゴも魔法も忘れてふうふうと己の手を吹いているトレサに、ぱちぱちとのん気な音程の拍手が送られる。
「素晴らしい、トレサ君」
「…せ、先生……」
「物事には摂理がある。魔法と言えどもその摂理からは外れられない。ただ摂理に働きかけることは出来る、それが魔法の力だ」
サイラスはトレサが落としたリンゴを拾い上げると今一度トレサに差し出す。おずおずとトレサは指先でそれを押してみる。それは温かく、軽い力をかけただけなのに金色の蜜を滴らせた。
「お母さんが作ってくれたリンゴ煮みたい!」
「最初は果実という水分の多い物を燃やすのは難しいだろう。だが今、物が燃えるということの摂理をひとつ学んだね?」
トレサは目を輝かせてぐにょぐにょに煮えたリンゴをつつきながら笑顔を花開かせた。
「先生、ありがとう!」
サイラスも聡明な生徒の飲み込みのよさに、上機嫌で祝いの言葉を送った。
……それからトレサが学者の証を真に身に着けるまで、六人の仲間たちが熱いリンゴに辟易することになるのだが……それはまた別のお話。